『ヒミツ』第4巻 4モヤ4

2023.01.10 その他

『ヒミツ』第4巻 4モヤ4

郊外に越して最初に行ったのは、備蓄だった。

・塩1kg×50袋

・砂糖1kg×50袋

・度数の高い焼酎やウイスキー50本

まずはこれらをストックした。

いずれもたいした金額ではないが、常温で長期保存可能であり、

人々のニーズが高い。

物々交換にはうってつけの品。

県境の田舎道をたのしみながらドライブを重ねていたため、

なんとなくあの辺には農家が多いなぁ、このあたりは米作が中心、

むこうに行けば白菜や大根、そば畑が広がっている、

といった土地勘もつくようになっていた。

いざとなったら、農家にお邪魔して野菜等と交換してもらうつもりだ。

戦後の闇市のような極端なことは考えていないが、

震災のときにスーパーやコンビの棚が空っぽになった経験をし、

ティッシュ類が蒸発して不便を強いられたり、

常備薬が入手しづらい状態が続いたので、

自分にとって必要なものは多めに備蓄するようになっていた。

郊外の安くて広い戸建ては、その点理想的だ。

キャンプブームもあり、山で焚火をしたり、アルコールストーブで

お昼を調理したりしても、奇異に見られることもない。

最低限の道具でなんとかする、あるものでしのぐ、

というアウトドアの経験は自信にもつながっている。

なんとかなる、最低限生きてはいけるという強い確信は、

あのモヤを払うにも絶大な効果があった。

漠とした不安の発生源の一つは、あきらかに生存本能であって、

遺伝子レベルで組み込まれているがゆえに強固で、深い。

頭で勉強するよりも、体にわからせる経験を積む方が、圧倒的に腹落ちする。

同調圧力に流されるか否かの差は、案外こんなところにあるんじゃないか、

という気がしていた。

コロナ関連で連日連夜の恐怖報道が続いていたころ、

言いようのない不安から過剰防衛に走り、自粛警察になったり、

人生を不必要に委縮させていた人々がどれだけ多くいたことだろう。

もちろんケイコも不安にさいなまれることは多々あったが、

恐くなると目をつぶり、「わたしは強い、わたしは安全」と心の中で

アファメーションする習慣があったので、ずいぶん救われた気がする。

ここでもまた、ほんのちょっとした心の準備の差が、

人々の運命を大きく分けたように思えてならない。

モヤにのみ込まれてしまった人と、自力で払うことのできた人の差だ。