『ヒミツ』第6巻 46 引き算思考2

2023.09.26 その他

46 引き算思考2

なにかをやろうとするとき、我流にこだわる人がいる。

他人の助言に耳を貸さず、あくまで我流を押し通す。

自分は正しく、他人は間違ってる。

自分のほうが上で、他人は下。

無意識にそうしたスキームばかり使っているのに、

本人にはまったくその自覚がないの。

筆者はピアノを習っているので、よく痛感するみたい。

自分ではきれいに弾けているつもりなんだけれど、

プロの耳は、リズムのわずかな乱れや、

音量のアンバランスさ、進行の不自然さなどを瞬時に聞き分ける。

秒で指摘される。

言われても、正直、筆者にはわからない。

そんな微妙な違いはわからないので、こんな弾き方をしているわけで、

わかっているならそもそもそんな弾き方してないでしょ、

というのはわかってる。

だから筆者は、先生の指摘には素直に従うことにしているの。

納得できないこともあるし、自分ではそうしない方がいいと思うこともある。

でも、まずは一旦我を殺して、先生の言うとおりに弾けるよう練習する。

1か月くらいたって、先生の言うとおりに弾けるようになってみると、

たしかにこの方が美しい。

スムーズ。

作曲家が狙っていた音響効果が最大限生かされており、

弾いてても、曲そのものが意思をもって自身で羽ばたいていくような、

独特の恍惚感を感じるようになる。

この水準まで達してはじめて、我流が成長を妨げていたこと、

曲を活かせていない変なクセがついちゃってたことを、自覚する。

ここではじめて、理解でき、腑に落ちるの。

指導を受けているとは、自分が否定されているようで、

自分の独自性や存在意義を認めてもらえない、

自分なりに一生懸命やってるのに、って気持ちになる。

でも、そこで止まっているかぎりり、永遠に「我流」に沈んだままよ。

学ぶことで失われる弱々しい独自性に、なんの意味があるかしら?

達成されるべき豊かな大我が向こうにあるとすれば、

いまここにあるこの小我にこだわっててどうする?

もう還暦が近いというのに、筆者はいまだにそのことを

身をもって経験している。

成長のプロセス、「体験」の豊かさをね。

「小我」は引き算よ。