『ヒミツ』第6巻 19願い3

2023.08.21 その他

19願い3

2台とも、ところどころ塗装が剥げたプリウスだった。

古い車を大事に乗っているのではないことは、一目でわかった。

おそらくは、かなりの過走行車をタダ同然で購入し、

ほとんどメンテすることもなく、当然に洗車もせず、

汚れ放題、傷み放題のまま乗り潰す。

動けばそれでよく、移動の道具として使役される目的のためだけに、

すべての存在価値が規定されている車。

それは、多くの日本人が感覚として持っている「愛車」とは、

対局の存在意義を主張していた。

カーステレオからは、大音量でヒップホップが流されている。

ドン、ドン、ドン、と重低音が、周囲の自然と見事なまでに

不調和を響かせる。

降りてきたのは、褐色の青年たちだった。

カーステレオが止まったと思ったら、今度はポータブルスピーカーから、

別の曲が大音量で流れはじめた。

あまりにも場違いなこの不調和性が、なぜかこの一団と

きわめて調和しているように、彼には思えた。

さっきまではしゃぎまわっていた子供は動きを止め、

犬の時間も止まり、家族みんなの視線は褐色の外国人たちに凍り付く。

彼らはよくわからない言葉を使い、スピーカーに劣らぬ大声で

なにかをけたたましく言い合い、服を脱ぎ、

歓声とともに川へのダイブをくりかえす。

「不良外人たち」。

おそらく、家族みながこの言葉を心に浮かべている。

子はおびえて笑顔が消え、妻は身の危険を本能的に察知し、

老人は衰えた筋肉を悔いるようにこわばらせ、みながみな平静を装っている。

家族団らんの平和な午後は、一周のうちに崩壊した。

・・・しかし、彼だけは少し違っていた。

彼は自分の直観を信じている。

なぜこの場所を選んだのだろう、と自問していた。

仮に、このシチュエーションにも必然性や意味があるのだとしたら?

そう自問しながらかの一団をあらためて見ると、

彼はあることに気がついた。

アルコールが出ていない。

女の子も連れてない。

タバコを吸っている者もいない。

「不良外人にしては、健康的だな。」

彼はそう思った。

その瞬間、彼は理解した。

目を閉じ、心の中でアファメーションを行う。

「わたしは強い、わたしは安全。」

すると、状況は一変した。

乗り手の意思を凶悪に体現しているかに見えた車たちは、

お金のない若者がバイト代を貯めてやっと買った、

ただの激安車に変わっていた。

無法な大音量の音楽も、水しぶきをあげながらの迷惑ダイブも

若々しいエネルギーの健康的な発散、と感じられるようになった。

不良外人なら、そもそもこんな緑豊かな場所には来ないはず。

深夜の繁華街で、ナンパした女子たちを侍らせ、

ビールやらウイスキーやらのグラスに囲まれているだろう。

お金がなくモテない留学生たちが、若いエネルギーを発散するため、

男子同士で誘い合って、健全に水泳をたのしんでいる。

ふだんは学校で、母国を離れた不安を押し込めながら、

夢を実現するために一生懸命勉強しているのかもしれない。

今日は、そんな彼らのささやかな息抜きなのだ。

そんな風にも見えた。

彼は、この元気いっぱいの若い褐色の肌たちが、

急に輝き出すように感じた。

おそらく、母国の強烈な日差しの下でも、

輝かしい未来を主人にもたらすために、

紫外線を遮り、細菌から肉を防御し、歓喜の発汗で代謝を促し、

遠い異国での暮らしを支える準備をしてきたに違いない。

国の未来を切り開く、優秀な若者たち。

彼には、いつしか笑顔が見えた。

一瞬で、状況を受け取り直したのだ。

因→果の矢印は別の方向へと向け直され、

これまでとそん色ない「豊かな午後」が創出されたのだった。