『ヒミツ』第5巻 47 創造者たち2

2023.05.30 その他

47 創造者たち2

ためしに、ざっと新聞を眺めてみて。

実に多様なことが起こっているわね

およそ想像しうるかぎり、ありとあらゆることが

ありとあらゆる場面で、国で、街で。

人類のこの途方もない多様性って、なんなのだろう?

どこから来ているのだろう?

なにをめざしているのだろう?

筆者はいつも思う。

この三次元世界の物理的構成要素は有限なのに、

太古の昔から、人類は実に多様な経験をしてきている。

同じ場面に遭遇したというのに、受け取り方は人それぞれ。

感じ方も、それへの評価も、みんな違う。

未来永劫、その多様性はずっとつづく。

仮に、子宇宙、孫宇宙、並行宇宙といったものがあり、

それらの無限性まで加味されるとすれば、

この途方もない多様性の前に、いま自分がやっているこの行為、

自分が下した判断、それに対するあの人の反応、

あの人からの評価、あの人の理解、彼が達成したこと、

彼女が得た物、買えた物、味わっている暮らし、美貌、

そういったものたちに一体なんの意味があるのだろう?

どれに価値があって、どれには価値がないって、どういうことだろう?

ただ言えるのは、自分は「いま、ここにある、この世界」を生きてる。

未来はまだ来ていないし、過去はもう過ぎ去って存在しない。

並行世界はここにない。

あの人は自分じゃないし、価値判断の基準は自分が作ったものではなく、

評価も他人が下したもの。

ただ言えるのは、自分は「いま、ここにある、この行動」を表現した。

多様な選択肢は確かにありえたけれど、実際に言ったことは一つ。

とった行動も一つ。

感じたのも、「いま、ここにある、この感情」も一つだけ。

生きるということは、選択することだ。

選択するということは、「一つ」を表現することだ。

表現するとは、その「一つ」を創造することだ。

自分なりの「一つ」を。

他人は関係ない。

表現は自分のものであり、解釈は他人のものだから。

評価は他人の自己表現なのだから。

あの人はあの人の自己表現をしたわけで、

自分は自分の自己表現をしていけばいい。

価値も、尺度も、評価も、基準も、美醜も、善悪も、

良否も、高低も、多寡も、上下も、みなその自己表現の一形態にすぎない。

ただ、それっぽく、ラッピングを替えただけ。

創造者にとって、すべては被造物。

被害も、無理解も、貧乏さえも。

少なくとも自分に関する限り、すべては自分の被造物。

自分がくりかえしてきた選択たちの、「一つ」の結果。